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鉄道研究部

頑張るぐんまの中小私鉄フェア2025 in 上信電鉄

投稿日2025/11/6

2025年10月26日(日)

赤羽駅―(高崎線快速アーバン)-高崎駅…上信電鉄本社・車両検修場・フェア見学…高崎駅-(上信電鉄)-下仁田駅-(上信電鉄)-上州富岡駅…富岡製糸場・見学…上州富岡駅-(上信電鉄)-高崎駅-(上野東京ライン)-赤羽駅・解散

本日の鉄道研究部の校外活動は、高崎にある上信電鉄車両検修場にて開催された「頑張るぐんまの中小私鉄フェア2025 in 上信電鉄」の見学です。上信電鉄は、1895年に上野鉄道として設立され、1897年に高崎-下仁田間に開業しました。現存する日本の私鉄路線では、南海電気鉄道(阪堺鉄道)・伊予鉄道・西武鉄道(川越鉄道)についで4番目に開業しました。下仁田から余地峠を越えて佐久鉄道(現在のJR東日本小海線)の羽黒下駅まで延伸する計画が立てられ、1921年上信電気鉄道と社名が変わりました。世界恐慌の影響により、路線の延伸は実現しませんでした。

上信電鉄車両検修場、頑張るぐんまの中小私鉄フェア会場に着くと、早速部員たちは、各種体験コーナーへ行き、上信電鉄のヘルメットや帽子をかぶりました。案内の方の勧めで上信電鉄500形(元西武鉄道101系) リバイバルカラー車両をバックに写真を撮りました。

次に上毛電鉄デキ3と上信電鉄503-504号車ロケット号の運手室を見学しました。デキ1形電気機関車は、1924年に上信線が改軌・電化した時に、ドイツのシーメンスシュケルト社から購入したデキ1・デキ2・デキ3の1両です。砂箱の撤去、前照灯位置の変更、パンタグラフの交換、ATS関連装備の搭載が行われたが、大正年間の輸入当時とほぼ同じ外観です。

上信電鉄500形ロケット号は、本社を東京都から群馬県富岡市に移した宇宙機器関連メーカーIHIエアロスペースが事業を開始して25周年を迎えたことを記念してラッピングされました。宇宙開発に挑戦する夢と希望の会社を地元の人に身近に感じてもらおうと、IHIエアロスペースがデザインしたラッピングです。デキ3号、500形、700形を撮影しました。

700形は、2019年に150形や200形の老朽化に伴う置換えのため登場した車両です。JR東日本107系を譲受し導入しました。導入にあたりワンマン化改造や前面排障器の大型化が行われました。JR東日本高崎支社時代の塗装を復刻した第4編成、過去の上信電鉄の標準塗装であるコーラルレッドに塗色された第5編成を撮影しました。

次に検修場へ行き、保守用車両やヘッドマークを見学し、パンタグラフの操作を体験しました。

次に交通安全コーナーへ行き、群馬県警のパトカーや白バイに乗りました。

上信電鉄の本社ビルへ行き、入り口にあるCTC交換制御装置を見学しました。CTCとは、Centralized Traffic Control、鉄道路線の一定区間の単位で信号や分岐器の連動装置を運転指令所や列車制御所で遠隔制御するシステムです。

上信電鉄本社2階に行き、群馬県立高崎高等学校鉄道研究部が制作した鉄道模型レイアウトとジオラマでの鉄道模型運転会を見学しました。

そして屋上に行き、上信電鉄車両検修場やJR高崎駅を行き来する電車や八高線の気動車を眺めました。最後に群馬の鉄道グッズ販売会場へ行き、わたらせ渓谷鉄道、上毛電気鉄道、上信電鉄の記念乗車券などを買いました。鉄道研究部としては、上毛電気鉄道の運転士と車掌の名札を買いました。次年度以降の学園祭で、部員たちが展示会場を案内する時に身に付ける算段です。

頑張るぐんまのの中小私鉄フェアを見学した後、上信電鉄に乗って、下仁田駅へ行きました。下仁田駅は、上信電鉄の終点で、関東の駅百選に認定されています。下仁田駅からJR小海線の羽黒下駅まで路線を延伸する計画がありました。上信電鉄の名も上野と信濃を結ぶことにまつわります。

頭端式ホーム1面2線の地上駅で、貨物営業を行っていたころの名残もあり、側線が4本あり、夜間滞泊の場所となっています。部員たちは、上信電鉄が羽黒駅まで開通していたら、下仁田駅が山岳路線と平地路線を中継する拠点となっただろうと思いを馳せながら駅と電車の風景を撮影しました。

下仁田駅を撮影した後、クロスシート車の7000形に乗って、上州富岡駅へ行きました。2014年に上信電鉄沿線にある富岡製糸場が世界遺産に登録されました。その2年前に支援の一環で導入された車両です。上信電鉄としては31年ぶりの自社発注車両です。制御装置は上信電鉄で初のVVVFインバータ制御です。塗装は、公募により富岡製糸場を模したラッピングが施されています。

2014年4月3日に上信電鉄を見に来た時、車体に「富岡製糸場を世界遺産に!」と書かれていたなと思いながら上州富岡駅に行きました。

上州富岡駅から旧富岡倉庫、吉田七味店、旧韮塚製糸場など富岡の街並みを眺めながら、富岡製糸場へ行きました。富岡製糸場は1872年にフランスの技術を導入して設立された官営模範工場です。器械製糸工場としては、当時世界最大級の規模でした。器械製糸とは、人力や水車、蒸気、モーターなどの動力を使って繭から生糸を生産する技術です。富岡製糸場に導入された器械は後の製糸工場にも取り入れられ、富岡製糸場で働いていた工女は各地で技術を伝えました。1893年に三井家に払い下げられ、1902年に原合名会社、1939年に片倉製糸紡績会社(現片倉工業)と経営母体が変わりました。1987年に操業を停止するまで製糸工場として機能しました。第二次世界大戦での空襲の被害を受けず、操業停止後も片倉工業が保存につとめたこともあって、開業当初の木骨煉瓦造の建造物群が現代まで残りました。2005年に敷地全体が国の史跡に、2006年に初期の主要建造物が重要文化財に指定されました。2007年には他の蚕業文化財とともに「富岡製糸場と絹産業遺産群」として世界遺産の暫定リストに記載されました。2014年6月21日に日本の近代化遺産で初の世界遺産リストに登録されました。

部員たちは、正面入口を通り、1873年にフランス人男性技術者の宿舎として建設された検査人館や1873年の皇后、皇太后の行啓を記念して建立された記念碑を眺めながら、東置繭所に入りました。富岡製糸場は、コの字型に製造関連施設が建てられ、その周りに宿舎などの生活関連施設が建てられました。柱や骨組みは木材を用いて、壁を煉瓦で仕上げる西洋の木骨煉瓦造で建てられました。煉瓦は漆喰を用いて積み上げられました。屋根は日本瓦を葺いています。

東置繭所は、1872年に建てられた繭倉庫です。正面のアーチを入ると、床面に計量機が有ります。片倉時代には繭を積んだトラックがここで計量されていました。そのまま進めば、広場に出ます。左右に別れます。右側は主にお土産品の販売と、通常の展示物と映像で富岡製糸場が紹介されています。左側はシルク製品の販売や、座繰りの実演、フランス式繰糸器の実演、その奥は、特別イベント会場となります。

次に社宅を見学しました。大正時代に建てられたと思われる建物で、敷地の北東エリアに建ち並ぶ社宅群の1棟です。長屋形式で4戸からなります。西端の1戸は昭和の暮らしを伝える展示施設として、その隣の1戸はカイコの生態展示や繭かきなどの養蚕体験ができる施設として、また東半分の2戸は座繰り器による糸取り体験や、繭や生糸を使ったクラフト体験ができる施設となっていました。

次に工場長宅を見学し、ブリュナエンジン(復元機)動態展示施設へ行きました。ブリュナエンジンは、富岡製糸場が創業した1872年から約50年間、繭から生糸を作る繰糸機の動力源として使われました。 名前の由来は、富岡製糸場の建設を指導したフランス人技術者ポール・ブリュナがフランスから輸入したことからとされています。2012年に富岡市内の企業38社が「ブリュナエンジン製作委員会」を設立しました。ブリュナエンジンの設計図がないため、実物を所蔵している愛知県にある明治村の展示品を特別許可を得て、外観を計測し、2015年に実寸の部品を組み立て、動作検証をへて、レプリカを完成させました。エンジン内部は実寸出来ていませんので、想像にて部品を製作したそうです。部員たちは、機械には興味があるようで、写真を撮りまくっていました。

次に、西置繭所を見学しました。西置繭所は、1872年に建てられた木骨煉瓦造、2階建て、桟瓦葺きの建物で、長さが約104mあり、主に繭を保管する倉庫として使われました。保存修理と耐震補強が行われ、1階には耐震補強用の鉄骨を骨組みとしたガラスの部屋を整備し、資料展示室と多目的ホールを設けられました。2階の展示では、貯繭倉庫として使われてきた空間を体験できます。富岡製糸場に保存されていた歴史的資料が展示されていて、富岡製糸場の創設、富岡製糸場の工女たちの生活、生糸づくりの作業について解説されていました。富岡製糸場は、労働環境が良く、福利厚生も整っていて、病院なども併設されていました。部員たちは、富岡製糸工場の工女たちが教育施設で授業を受けている写真を見て、「ウチより授業に集中しているな。」と呟いていました。

次に操糸所を見学しました。繰糸場は繭から生糸を取るために造られた建物です。部員たちは、富岡製糸場といえば、器械が並ぶ操糸所が思い浮かぶようです。繰糸場内でお湯を使って糸を取る作業をするため、その蒸気を逃がす換気をするために、屋根の上にもう一つの屋根があります。越屋根です。操業時には日本には電灯が無かったので、細い糸をとる作業では、作業場が明るいことが必要でした。そこで、大きな窓を沢山備え付けました。自然な光を取り入れるため、建物を東西に長い造りにしました。建設に使われた窓ガラスや鉄製の窓枠、ガラスと窓枠を固定するための「パテ」等は、主にフランスから輸入されたそうです。繰糸所内部には、1965~80年の間に設置された日産製の自動繰糸器が設置されています。最後に寄宿舎と首長館を見学しました。富岡製糸場の建設の際に、明治政府は横浜にあるエシュト・リリアンタール商会で働いていたポール・ブリュナを5年間雇いました。首長館は1873年頃に建てられました。高床式のコロニアル様式の建物で、ベランダをめぐらし、窓には風通しの良い板戸が取り付けられました。

富岡製糸場を見学した後、上州富岡駅の前にある県立世界遺産センターに立ち寄りました。高崎駅でだるま弁当などを買い、上野東京ラインに乗って帰りました。今日は上信電鉄と富岡製糸場について沢山の事を学びました。部員たちは、日本の明治期の工場施設と産業の発展について興味を持ちました。

日本学園鉄道研究部・山岳部HP http://www7b.biglobe.ne.jp/~suzuki3309/