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「先人の足跡」中学1年B組副担任(国語科)

投稿日2025/7/19

 先日木曽駒ケ岳まで登山に行ってきました。数か月ぶりの登山で、息も絶え絶え水も絶え絶え、ふらつく足取りでなんとか頂上まで登り切り、稜線歩きをしてからさて帰るかと折り返しのルートを進んでいると、途中「山道注意」の文字が。何のことだろうと不思議に思いながら木々をかき分け開けた先に見えたものは、なんと残雪。熟練の雪山登山者ならば、「なんだこんなもの」と言いそうな、おおよそ横幅30メートルほどの残雪でしたが、私には残雪期の登山経験はなく、当然ながら雪山装備も一切ありません。しかし底をつきかけた体力的に引き返すという手段はとれず、仕方なしに斜面一帯を覆う大河のような残雪の上を歩いて渡ることにしました。

 時刻は昼過ぎ、ときおり見え隠れする太陽の日差しに噴き出す熱い汗に混じって冷や汗がだらだら背中を流れ落ちます。溶けかけた雪の踏み場が悪ければ、一気に斜面を滑り落ちることになるのです。
 けれども希望はありました。途方に暮れかけた目でよくよく見ると、残雪の上には先達が歩いた足跡がくっきりと残されているではありませんか。意を決し、踏み固められた足跡に縋る想いを懸けて、及び腰にならないように慎重に体重をかけながら、一歩ずつゆっくりと足跡を辿っていきます。少しでも足がずれたり、体重のかけ方を誤ると、真っ逆さまです。半分を過ぎたあたりで足の震えが意識の上にのぼってきて、危うくバランスを崩しかけたりしましたが、なんとか対岸まで渡り切ることができました。思わずしゃがみ込み、震える足を放り出して、歩いてきた残雪の道を振り返ると、後続の人々が残雪に気が付き、渡る準備をしているのが見えました。彼らもきっと、私たちが歩いた足跡を辿ってくるのでしょう。先人たちの歩みの上を私たちが歩き、また次の人々の道しるべとなる。なんだかいいなあと、さっきまでの恐怖はどこへやら、ぼんやり空を見上げながら思ったのでした。

 山を登る道は、前人未踏として開拓することもあれば、先人の築き上げた道を歩き伝え、守っていくことも必要です。基本的には、その中でも最も歩きやすく命の危険が最小限である道が登山道として後世へ受け継がれていくのです。我々の社会の歴史もまた、険しく高い山をいくつも越えなければならないような事態に何度も陥ってきました。足を踏み違え、真っ逆さまに奈落の底へ落ちていったこともありました。誰もが安全だという道をあえて外れ、地獄のような道を開拓しながら仲間を一人二人と失っていき、なんとか登り切ったはいいものの、登ったところで、後には何も残らず、ただそこに広がっていたのは焼け野原だったこともありました。我々は今どこへ向かっているのでしょうか。先人たちが血と涙で踏み固めてきた平和という道から、どうか再び滑り落ちないことを、次の世代である中学生達に教えていかねばならないと強く思う今日この頃です。