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「震災の記憶の継承」中学2年D組担任(社会科)
今年の8月末、中学2年生は創発学の宿泊行事として、2泊3日の石巻体験を行いました。宮城県石巻市を中心に、この地域の農業・漁業そして東日本大震災以後の復興まちづくりについて体験学習をしたのですが、夜はホテルへ少年時代に東日本大震災を体験した方を講師として招き、震災当時の生死を分けるような厳しい状況について話していただきました。
その講師の方は震災が起こった時、自宅にお祖母様と一緒にいたのですが、しばらくすると津波があっという間に家の中にまで押し寄せてきて、その人は辛うじて家具の上に逃れました。八十歳を越えたお祖母様はいったん津波の中にのみこまれて姿が見えなくなったのですが、何と自力で津波の中から浮かび上がって九死に一生を得たといいます。これには孫である講師の方も驚いたようですが、その時、お祖母様は「戦争に比べればよっぽどましだ」とおっしゃったとか。この話を聞いて私は、戦争と大震災という2つの災厄を乗り越えてきた高齢者の生命力の強さに感銘を受けました。
さて私の少年時代には、まだ1923(大正12)年に起こった関東大震災の体験者が数多く存命で、私もじかに体験者から話を聞く機会がありました。その体験者とは、小学生だった私が母と一緒に新幹線に乗っていた時、たまたま隣に座っていた年配の女性で、少女時代に関東大震災を経験した人です。
その人は関東大震災が起こった後、家族と共に荷物を背負って本所の陸軍被服廠跡にやってきました。ところが被服廠跡の広場はすでに大勢の避難者や荷物でごった返していたため、あきらめて他の場所で夜を明かしたといいます。
翌朝、その人が再び被服廠跡の前を通った時に見たのは世にも恐ろしい光景でした。
よく知られた話ですが、関東大震災の時、本所の陸軍被服廠跡では竜巻火災が起こり、またたく間に約3万8千人が炎に包まれて亡くなるという大惨事となりました。その人が見たのは、まさに竜巻火災が起こった後の地獄のような光景だったのでした。
それにしてもその年配の女性は、なぜ新幹線でたまたま隣に座っていたというだけの子供にそんな話をしたのでしょうか。もしかしたらその人は長年、記憶の底に閉じ込めていた悲惨な光景を誰かに語っておきたくて、孫のような年齢の私に語って聞かせたのかもしれません。
関東大震災の体験者でまだ存命の人は、いたとしてもおそらく数えるほどしかいないと思います。東日本大震災を体験した人は、まだこれから何十年もの人生を生きてゆくことになります。生徒たちには、今回の石巻体験で体験者から聞いた話を忘れずに記憶し、できるだけ多くの人たちに伝えていってほしいと願っています。
*アイキャッチの写真は石巻市の震災遺構である門脇小学校です。