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「日本学園高等学校として最後の修学旅行」高校2年主任(理科)

投稿日2026/1/10

 高校2年生は、12月16日から4泊5日で沖縄県へ修学旅行に行ってきました。

 初日は3グループに分かれ、ひめゆり平和祈念資料館、ガマ、平和の礎と資料館を見学・取材しました。ある生徒は、ひめゆり平和祈念資料館を出たところで「胸が締め付けられる思いがして辛いです」と言い、立ち尽くしていました。また、別の生徒はガマの中で説明を受けた後、「当時の人はガマを出た時、外の空気や明るさに何を感じたのだろう。今は平和だな」と話していました。事前学習で資料や映像から知識は得ていましたが、実際に沖縄の地に立ち、見て、空気を吸い、話を聴くことで、80年以上前に起きていた出来事を肌で感じ取り、素直な感想が自然とこぼれ出たようでした。

 二日目は、戦後の統治下から本土返還までの歴史について、見学と取材を通して学びました。嘉数高台公園の史跡や戦跡を、沖縄国際大学のサークル「スマイライフ」の大学生に案内していただきました。年齢の近い大学生の説明を、生徒たちは皆真剣に聴いていました。その後、嘉数高台から沖縄国際大学へ移動し、21年前の夏に米軍のヘリコプターが構内に墜落した事故について、ローターにえぐられた跡が残る塀の前で説明を受けました。この日は基地から戦闘機が頻繁に飛び立っており、それを見ながら大学生が「今でも危険と隣り合わせなんですよ」と話していたことが胸に響きました。昼食は、80年前の4月1日に米軍艦隊が上陸した湾に隣接するアメリカンビレッジで自由にとりました。現在ではきれいに整備され、美しく穏やかな海岸が広がっています。ある生徒は「ここを埋め尽くすほど米軍艦隊が来たなんて想像できないです」と話しながらピザにかじりついていました。それも無理はありませんが、当時の状況を想像しようとする姿勢こそが大切なのだと思います。その後、ガイドの方とともにコザの街を歩きました。戦後、米軍の駐留地に近く関わりの深かったコザの街は、コザ暴動などの民衆運動を経て、本土復帰後に独自の発展を遂げました。しかし、米軍施設の返還によってアメリカンビレッジが整備されると、街の中心部は次第にさびれていきました。それでも夜になると、米軍関係者が飲食に訪れる賑やかな一面も残っています。私たちは事前学習で、俳優のきゃんひとみさんから、コザ騒動前後の沖縄の様子について、彼女が出演した『宝島 HERO’S ISLAND』のメイキング映像を交えて話を聞いていました。その内容と今回のガイドの方の話を重ね合わせることで、沖縄の復興と発展の裏には、米軍が良くも悪くも深く関わっていることをあらためて実感しました。

 三日目は、生徒自身が事前にテーマを設定して計画を立て、タクシーの運転手さんに相談しながら取材を行いました。恩納村のホテルを出発し、四日目以降の民泊の拠点となる道の駅おおぎみまで、限られた時間内で移動する必要がありました。「沖縄の自然と文化」をテーマに自由に巡るグループが多く、本部半島付近を通ることから、美ら海水族館や古宇利島が人気でした。「水族館と古宇利島へ向かう海の両方でウミガメを見ることができました」と話す生徒もいました。また、シーカヤックやバギー体験を行ったグループもありました。このタクシーによるグループ研修は、三学期にまとめと発表を行う予定です。生徒たちが肌で感じた沖縄の自然と文化がどのように発表されるのか、とても楽しみです。

 四日目は、大宜味村、国頭村、東村のやんばる地域で民泊を体験しました。教員団はタクシーに分乗し、可能な範囲で民泊先を訪問しました。穏やかな内海で釣りをしていたグループは、時間をかけて一から仕掛けを作り、苦労しながら釣りを始めたようです。小さな魚が釣れた際、愛おしそうにリリースしていた姿が印象的でした。牧場の手伝いをしたグループでは、雇われていた方が外国の方で、片言の英語でコミュニケーションを取りながら作業を行ったそうです。シークワーサーの収穫を手伝い、協力してジュースを作ったグループや、民家に伝わる方法でサーターアンダギーを一から作ったグループなど、生徒たちは民泊先の方々と交流し、家族のように温かく接していただいていました。

 最終日は、復興が進む首里城を訪れました。興南中学校・高等学校のアクト部の皆さんに案内していただき、あいにくの雨でしたが、楽しく交流しながら首里城を巡ることができました。今回の修学旅行は「取材活動を軸にした自主的行動」を目的の一つとしていたため、首里城で一度解散し、昼食や買い物を済ませた後、公共交通機関を利用して時間内に那覇空港へ集合する形をとりました。全員が制限時間内に空港駅へ集合できたことは、とても立派だったと思います。

 今回の修学旅行は、「日本学園高等学校」という校名で行う最後の修学旅行でもありました。同行した学校長が、ホテルに掲げられた校名を見て感慨深い表情をしていたのが印象的でした。さらに那覇空港の搭乗口で待っていると、ANAの副機長が学校長に声をかけてきました。その方は、2019年3月に本校を卒業した卒業生でした。私たちが搭乗する機の操縦を担当するとのことで、思いがけない巡り合わせを感じる出来事となりました。